痛みは心の安らぎから
こんにちは、かのうせいの齊藤です。
当時の私は、遠方にある有名なカイロ、整体、整形外科等、いろいろ自分に効果的な治療法を試してきました。
田舎者のせいか、有名や権力に弱かったんです。
世の中にはすごい人がいっぱいいますよね。
とてもいい刺激にはなっていますが、私の痛みはまた別のところで起きていたことに気づきました。
田舎者のせいか、有名や権力に弱かったんです。
世の中にはすごい人がいっぱいいますよね。
とてもいい刺激にはなっていますが、私の痛みはまた別のところで起きていたことに気づきました。
痛みが続くと不安や恐怖心からか、何を信じていいかわからなくなりました。
自分自身の体を疑う、痛めつけることも・・・。
原因を探す、効果を求めることに固執してしていたと同時に知らず知らずのうちに自分自身で深く傷つけていました。(その時は気づいていません)
痛いところをガムシャラにグイグイ押していたりして・・・・。
首はボキッとやっては、余計に痛くなっていました。
自分自身の体を疑う、痛めつけることも・・・。
原因を探す、効果を求めることに固執してしていたと同時に知らず知らずのうちに自分自身で深く傷つけていました。(その時は気づいていません)
痛いところをガムシャラにグイグイ押していたりして・・・・。
首はボキッとやっては、余計に痛くなっていました。
振り返ると、過去の痛み(特に心)をそのままにしてみないように、切断して、蓋をして生きている自分がいました。
良い思いをしたときだけの自分のみを認めていたのです。
肉体的な健康ばかりを追い求め、内側の健康(心・魂)を置き去りにしていました。(私の場合は)
どんなに有名な治療家でも、効果は一時的でした。(効果が一時的なのは私側の課題でした。)
なぜなら自分の中に、ダメな部分、弱さ、汚さ、良く見せようとする自分、被害者意識、罪悪感、悲しみ、憎しみなどいっぱいいっぱい抑圧して詰め込んでありました。
粗大ごみのように処分に困っていたのでした。
それが症状となってあふれでていたのです。
顔つきにもでていたのです。
少しづつではありますが、時間をかけて見ないようにしてきたことを丁寧に寄り添いつつ探求してきたことで、今ではほとんど痛みなく生活できています。
全部が粗大ごみなんかじゃありませんでした。
先日長野に帰った時、姉から聞いたのですが「こうじは幸せな顔をしている」と父は言っていたそうです。
昔の自分は、かなりきつい顔をしていました。
勝ち負けの世界や上下関係の厳しい世界に生きていました。
そうゆうギスギスした世界が自分にはあわなかったんです。今回、母が病気で倒れ入院していますが、私自身とてもやさしく穏やかな気持ちで寄り添うことができました。
病気の方に、オドオドした自分やイライラした態度で接するのは余計に病状を悪化させてしまいますよね。
勝ち負けの世界や上下関係の厳しい世界に生きていました。
そうゆうギスギスした世界が自分にはあわなかったんです。今回、母が病気で倒れ入院していますが、私自身とてもやさしく穏やかな気持ちで寄り添うことができました。
病気の方に、オドオドした自分やイライラした態度で接するのは余計に病状を悪化させてしまいますよね。
数年前の自分だったらとてもじゃないけど、平和な気持ちでいられなかったと思います。
今は、そんな自分自身の変化も楽しみながら生活しています。
高橋 優さんの「素晴らしき日常」現代の社会に響くものがあります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
297人目の口コミを頂きました。
ありがとうございます!!
「よかった」
→確認はこちらから(PCサイト)
→確認はこちらから(モバイル)
→確認はこちらから(スマートフォン)