かのうせいカイロプラクティックを開業した理由
高校生の頃にさかのぼります。
推薦入学で駅伝に強い高校へ進学するため親元を離れ寮生活を送りました。
1年もしないうちに足腰を故障して走れなくなりました。
整形外科のレントゲンでは異常がありませんでしたが、痛くてたまりません。
スピードをだして走ると腰がズドンと重くなり、前脛骨筋(スネ)から足首にかけて感覚がなくなっていました。
足首が内反した状態でかたまっていて地面に着地ができません。
一歩一歩足をつくたびに、捻挫を繰り返している状態です。
それでも、走りたい、走らなきゃ、期待に応えたい・・・
心が弱い、甘やかされて育ったからだと先輩や同期の仲間から厳しい指導を受けました。
監督は時より何かを察しているのか僕には優しくしてくれました。
振り返れば、優しい声をかけてくれた同僚や先輩も・・・。
悔しくて、情けなくて、自分に負けたくなくて這いずって、意識がなくなるまで走りました。
うつ伏せに倒れこむたびに、ひどく落ち込みました。
今思えば、寮生活や部活動の厳しい上下関係、指導、環境面の過剰適応していたことに気づきました。
やせれば足が速くなる、痛みもとれる、無理をすれば強くなれると間違った認知の歪みもありました。
栄養の偏り、過剰なダイエットも問題でした。
心、身体、栄養、環境全てにわたってバランスを崩していました。
この時の苦しみ、悲しみ、怒り、不甲斐なさ、寂しさが逆に前向きの原動力となって将来の夢がいっそう高まりました。
僕と同じように「痛みや不調で苦しんでいる人達がいたらこの手で何かしてあげることはできないだろうか、気持ちの面でもわかってあげられるようになりたい」強い使命感を抱きました。
今思えば、当時の経験や厳しい環境のお蔭で今があります。
とはいっても、もう二度と過去の悲惨な暮らしはしたくありませんし、体験することはないでしょう。
相当傷ついていました、苦しかったです。
自分自身を自ら傷つけてきたんだということにも気づきました。
良い結果がでるわけがありませんね。
僕にとって10代を振り返ると、良く言えば修行僧のような人生、悪く言えば刑務所にいるような人生でした。
当時は本当に好きなことは、周りの期待に応えることがやりたい事だと思い込んでいました。
苦しいことばかり選んできました。
そうは言いながらも、自分の好きなことをとことんやらせてくれる家族があって今があります。
もう今は、感謝、感謝です、あの苦しみにもやっと感謝できるまでになりました。
今がとっても幸せです。
人を助けるにはまず自分自身を助けること、ケアすることが重要だということも痛感しました。
ここまで回復するのには時間もお金もかかりました。
人を傷つけてしまうこともありました。
今回お話した開業の動機は、ほんの一部に過ぎません。
この動機は時に危ういことも体験しました。
また、幼少の頃から、もうこの職に就くことが決まっていたかのような出来事が数多くあります。
それはまたの機会にお話ししたいと思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
かのうせいカイロプラクティック 院長
齊藤 弘治(さいとう こうじ)
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この道を選んだきっかけもご覧になってくださいね。