ネガティブな気持ちに寄り添うことで素直になれる
クライエントさんと向き合うことは、自分自身とも向き合うことでもある。
カウンセリングで、末期ガン、死別、離婚、私と同じような支援者のクライエントさんと向き合う時間は、否応なく、ずっと避けてきた、伏せてきた、忘れていたネガティブな記憶が目を覚ます。
幼いころの私は物静かで大人や友達の言うことをそのまま「うん、うん」とうなづく遠慮がちな子だった。
自分の気持ちも言わずに、言えずに周りにあわせてばかりいた。
思い込みでしかないが、その方が波風立てずにいられるから安全だった。(これ、思いこみね)
内面は、常に波風たってばかりいたけれど・・・。
最近、姉とLINEでやりとりして思いもしないことを聞いてびっくりした。
私が小学生の頃、姉に包丁を向けてきて怖くて、姉はいまだに先端恐怖症だという。
私は、抑圧した感情を姉にふりまいていたのだと思う。
「ごめんね」ではすまない話だけれど・・・都合のいいことに、姉には感謝の気持ちしかない。
今でも、姉と会話することは励みにもなり時に勇気をもらっている。
当時の学校生活では上履きや靴がなくなる、傘はなくなることは日常茶飯事だった。
何度も起こるので、登下校に下駄箱を見るのが不安で怖かった。
仕方なく、スリッパを借りる、裸足で帰る、雨に濡れて帰る日を送った。
ビニール袋を靴変わりにする、片足の靴が残っているときはケンケンで帰った。
悔しくて、悲しかったという気持ち以上に惨めだった。
親には最初、正直に言えていたがいつからか罪悪感いっぱいで言わなくなった。
子供ながらに、親の大変さを知っていたからだ。(この罪悪感が私の素直になれない理由)
学校では、盗まれたことを言うのが怖くて、忘れましたと嘘をついてスリッパを借りていた。
小さい頃は、カエルを投げつけて殺すとか、ミミズをちょん切ることを面白半分で上級生の影響で友達と競い合っていた。
何か、強くてかっこいいとさえ思って、その場ではスッキリした。
今思えば、何とも残酷で恐ろしい人間だったことか、ゾッとする。
カエルさん、ミミズさんごめんなさい。
酷いことをされている分、酷いことをして発散していたんだと思う。(ホント、最低だね~と妻)
小学校へ行きたくないと駄々をこねていた自分も、「松林マラソン」や「大町アルプスマラソン」「ちびっこマラソン」「地区駅伝」が学校へ行く勇気となった。
小学校の周りは、松林に囲まれていて1周700mのランニングコースになっていた。
毎朝、5週、6周と走ったり、父が車でマラソン練習に付き合ってくれた。
足が速くなって、毎年成績が伸びていくうちに自信がついた。
何が起きても、走ることで今起きていることがちっぽけに感じた。
よくよく思い返せば、私自身も同級生の女子に友達とひどい暴言をはいていた。
自分よりも弱い子にあたっていたというより、言い返さないから面白がっていたのかもしれない。
当時は気が付かないけれど、まるで自分を映しているかのようで腹立たしかったんだと。
彼女は悪くないのに、かわいそうなことをしてしまった。
ごめんなさい。
もしかしたら、靴を隠されたりしたのは彼女の仕返しなのかなって・・・。
今気が付いたのか!?(あなたって鈍感ね!笑)
まとめ:
10代の頃は、ネガティブ感情が悪くてポジティブ感情が良いと思っていたけれど、それは幻想だった。
失敗をして、自分も周りも傷ついて、傷つけて気が付きました。
「自分自身に素直でいる」ことが幸せの選択になるって。
偽った自分をポジティブに持っていこうとしても無理があり、むしろその偽りの自分に寄り添うことで素直さを取り戻すことができるんだと。
私の好きな曲、槇原敬之さんの曲「素直」をご紹介します。