拒絶という名の武器を振りかざしてきた斉藤少年
胸がギュ~ッとしめつけられるような苦しみ。
呼吸が止まり、目の前が真っ暗になると同時に立っていられない。
どこかによりかかりたい。
(苦しい、助けて。)⇒これは胸の中
これは、私が味わった拒絶。
拒絶と拒否は似ているようだが全然違う。
私にとって拒否はなれたもの。
私にとって拒絶は生理的な反応までも起きるくらいの辛さと恐怖。
何だか受け付けない、受け付けられない。
胸にグッとくるものがある。
思い返せば、小さいころから割と拒絶を目にしたりされたことがある。
まったくといっていいほど、記憶では忘れていたけれどハッキリと身体が覚えているようだった。
物心ついたころの拒絶という体験は、私にとって自分を守る自己防衛と同時に相手にも精神的苦痛を与える武器となった。
青年時代は、「傷ついた」という体験がいつしか腹の中で憎しみに変わり、拒絶という武器を振りかざしていた。
一見、温厚に見える私も、腹の内は大量破壊兵器を兼ね備えた冷酷で恐ろしい人間だった。
拒絶をされるのが怖いにもかかわらず、拒絶を武器とするなんて何とも難しい青年だった。
私はこんなにも傷ついているのだから、あなたはもっと傷ついてもいいとさえ平気で思っていた。
拒絶という武器はとても便利だったけれども、同時に孤独感と罪悪感が私の心を支配した。
自己破壊兵器とかした。
本当はそんなことを望んでなかったし、そんな冷酷な人間になりきれないのに・・・・。
あれから20年、人生経験を積むと共に、自分の気持ちを表現する、いわゆる自己開示や相手のことを引き出す傾聴など、そういったスキルを身に付けた私は徐々に変わっていった。
スキルも大事だが「どんな道であっても自分で選んで歩いてきた人生なんだ」と人生を引き受けたことで大きく道が開いたと思う。
拒絶しているときは、必ずと言っていいほど心の底では誰かの責任にしていた。(行きたくない道を、後部座席で乗せらている自分、降りたいけど・・・・)
私の父は「大学を卒業したら後は好きにやれな」と言ってくれた。
それは本当だった、父の言葉に、私は認められたようでとても嬉しかった。
それと同時に、父は私を一人前にするために厳しくしてくれていたんだと感謝の気持ちに変わった。
時が経て真っ黒い腹の中がどんどんきれいになっていった。
33歳になってようやくあるがままの自分、私とはどんな人間なのかという自己概念もしっかりしてきた。
こういった体験をしていることもあって、日々のカウンセリングで殻に閉じこもって拒絶している人に出会うと何ともその子たちがかわいらしく見える。
大の大人であっても同じ。
保護してあげたい母性的風土がかもしでる。(ウエッ、気持ちワルッ)
私は乗り越えたんだなって誇らしげに思う。
拒絶をしている、されているどちらにしても混乱期には正しい判断、適切な選択は非常に難しいと思う。
ただ、はっきりしているのはSOSのサインだということ。
下手なかかわりはかえって互いの傷を深めるだけ。
わかっていても繰り返してしまう。
そんな時は、温かく受容的な態度で接してくれる人がいると救われますね。
私はそうでした。
そうゆう時は、人であっても、本や音楽、演劇なんでもいいと思いますが好きなことをしましょう。
自分を取り戻し、自己理解を深める時間を作ってみてください。
最後に、心の中に蓄えてほしいヴィクトールフランクルの言葉をお伝えして終わりにしたいと思います。
「人間は人生から問いかけられているものである。
そして、どんなに人生に絶望しようとも、人生があなたに絶望することは決してない。
何かや誰かのために出来ることがきっとある。
何がおこるかわからない不安のなかで生きているけれども
それでも人生にイエスと言う 」